も く じ

まえがき                    ………………竹田美紀子

★子どもにつけたい本当の学力・生きる力とは
塩尻市総合文化センター             2003.8.6
                    板倉聖宣(原田研一・編集)
北村秀夫・再編集)……1
 教育そのものがもっともっと自立性があって,子ども本位でなければならないのです。子ども本位の教育と言うことを考えて,子ども本位の教育にしようと思ったら,すぐにこういうことは気がついていいはずなのに,日本人は誰も気がついていないのです。

★子ども主義とは何か

 授業書開発講座にて         2003.11.21
                    板倉聖宣(井藤伸比古・編集)……52
君のやりたいことが,民衆のためだったらぜひやってほしい。読者がもっと楽しくなるようなことならやってほしい。しかし「専門家に聞かれたとき答えられないといけない」というのは,ちょっと恥ずかしい。そんなのは,「私は専門家ではありませんので」と言えばいい。

★ 世界の教育史上に位置づけて考える

40周年記念シンポジュウム   豊橋日航ホテル      2003.8.17
                    内沢達(原田研一・編集)……57
今の時代のヒューマニズムのありようを考えると,やはり楽しく生きると言うことはすごく大事なことです。それを先進各国では,政治家であったり,教育学者であったりする人たちが,今の新しい時代での指針を見失っているわけです。

★世界の教育史上に位置づけて考える
40周年記念シンポジュウム   豊橋日航ホテル      2003.8.17
                   塚本浩司(原田研一・編集)……82
           それには「アメリカも独立に発見しているが,日本では同じようなことを板倉という人がやっていて,仮説実験授業というので非常にいい結果が出ています」というみたいな形で遠慮がちに書きました(笑い)。そしたら向こうからはどういう返事が返ってくるかちょっと楽しみなのです。

★ 授業書《差別と迷信》の改訂案2003について

宝塚教育総合センター                    2003.7.25
                   住本健次(浜野純一・編集)……102
まあ二つの点ですね。〈差別の原因を差別された側に求めることになりかねない〉ということと,〈社会に貢献したとかしてないとかいう価値基準を持ちこんでしまってる〉ということ,その二つの問題点があると思います。思いました。教科書で授業する場合は,いま言ったことを念頭に置いていた方がいいんじゃないかなと思います。

★ 《差別と迷信》を補足するプラン〈イエ・ムラ・ケガレ〉
宝塚教育総合センター                    2003.7.25
                   住本健次(浜野純一・編集)……126           
結局,イエとか家筋とかいう意識がドッキングしてはじめて,ケガレが差別にくっついているわけですから,やっぱりムラとかイエとか合わせて考えないと,ケガレだけで説明できないことは,いっぱいあります。
    
●今年も、楽しんでくれました ―「生活科教育法」と「算数教育法」―  
                          西村寿雄(大阪)……166
しかし,ここ数年状況が少しずつ変わってきました。地方によっては,短大卒業生も講師などに採用されるケースもあり,小学校教員採用試験にいどむ学生さんもちらほら出てきました。この状況は,ここしばらくは加速することと思われます。   

●依存と自立の関係 −明橋大二講演「見逃さないで!子供SOS」より−
  
                        島百合子(富山)・・・・・・190
大切なのはこの「依存と自立」を、子どものペースでの繰り返せるように見守るこ
とである。大人の都合で振り回してはいけない。「過干渉」は子どもを「自立させな
い関わり方」であり、引きこもりを起こしやすい。また「放任」は子どもに「依存さ
せない関わり方」であり、非行に走りやすくなる傾向がある。

●明橋大二講演「子供の力が、家庭を変える、学校を変える、社会を変える」より
                                    島百合子(富山)・・・・・・195
子供自身も問題行動の原因が分からないことが多いので、周囲の大人は、子供を信頼して接していくことが必要。子供に不信感を持って育てると、人を信じられない子になり、子供を信頼して育てると、人を信じられる子になっていく。

●9歩の階段
                  島百合子(富山)・・・・・・200
この9年間で自分は、いろいろ成長させてもらったと思うことが多い。小さな階段ではあるが、毎年、確実に登ってきたと思う。振り返ると、子供達の笑顔や、お世話になった人の顔がそこにある。それが、まだ温かい内に、ここに書きとめておきたいと思った。

●病院併設学校で大切にしていること
  森村和夫(滋賀)・・・・・・212
教科書を進めることや,ターミナル期の子には死への準備教育が必要という声があります。でもぼくは,《今をたのしく》といいたいと思っています。すべての子にその時々を充実させてほしいと思います。そのために学校でできること,それは1時間でも多く「たのしい授業」をふやすことにつきると思います。

●まだ元気じゃないけれど     板坂裕子(大阪)…・・217
どんなときでも、私を支えてくれるのは、仮説実験授業と、それを楽しんでくれる子どもたちということに、改めて気付かされた新学期です。そして、ちょっとしたことで、まだうろたえてしまう「自分」に気付いてしまった新学期でした。

●校長との面談で 
       板坂裕子(大阪)……221
「授業を見にきてください」・・・仮説を本格的にやっていなかった頃の私だったら、こんな言葉、絶対口にしていなかったでしょう。授業書があれば大丈夫と思えるから、こんなことも言えるようになったのかな。どんな感想がもらえるか分からないけど、校長に少しでも仮説の楽しさを知ってほしいと思います。

●今度、板坂先生のクラスへなる人へ
   板坂裕子(大阪)……225
  子どもたちから評価されたのは、私の性格、人格に関わることよりも、「授業」に
関することでした。中には「プリント授業(仮説実験授業)や漢字ビンゴ(漢字マッキーノ)が、楽しい」ということから派生して、私のことを「いい先生」というふうに書いてくれた子も何人かいました。

●「心の種」を贈ります 
      板坂裕子(大阪)……228 
それと、今回使った「心の種」はなかなか良かったです。子どもたちに向けてのプレゼントという方法もあるし、私みたいな使い方も悪くないんじゃないかなーと思うのですが、どうでしょう?

●なんてったってキミ子方式  私にもできた美術の授業
                 富田 秀紀(ヤンゴン日本人学校)・・・・・・231
仮説実験授業を楽しんでくれているみんなに,美術でもどれくらい楽しんでもらえるのだろう。〈キミ子方式〉でやれば自信をもってできそうだけど,みんなはどういう感想を持ってくれるだろうか。そんな不安を持ちながらのスタートでした。

●「今日のことは一生忘れない」 ミャンマーでの仮説実験授業

                富田 秀紀(ヤンゴン日本人学校)・・・・・・237
英語で話せば簡単に通訳してくれそうなのですが,今までの授業を想像するかぎり,間にその雰囲気が見えかくれすると,「仮説実験授業を心底楽しんでもらえないかもしれない」という危惧感もありました。そう考えると,幸いなことに英語が苦手な私にとって,「ミャンマー語の修行」は意欲をかきたてるものがあります。

●「私の夢はいい先生になること」 ミャンマーでの仮説実験授業PART2
                富田 秀紀(ヤンゴン日本人学校)・・・・・・252
経験を重ねられているミャンマーの先生方に,ある程度新鮮な投げかけができたことは確信できたけど,何だか淋しいような欲求不満が残りました。それならこの機会に,「〈先生になりたい〉と思っている学生さんたちに授業できませんか!」とお願いしたのです。

●先が見えにくい時代       田中一成(福岡)・・・・・・259
そうです、同じ方向を向くから絶望的な先の方に天才が歩いているのです。でも、ちょっとでも違う方向を向くと、誰もいない可能性があります。
すると、冒険です。大変なことです。見通しは全くつきません。ですが、きっと面白いはずです。すると、それを面白がってくれる人が現れることでしょう。

●調べてきました「新月」  浜野純一(兵庫)……262
この〈赤新月〉という名前,ヘンだと思いませんか? 上の赤十字は,赤い十字だから,赤十字なんでしょ。それなら下は,赤い三日月なんだから,〈赤三日月〉なんじゃないの? 三日月の別名が〈新月〉なのでしょうか?

●すみれの授業の14
 (ほかの号はHPにあります)浜野純一(兵庫)……270
  障害をもつ子どもに対しても,同じはずで,無難にこなせていたら,すばらしい教材に出あっていても,気づけないような気がします。
 とりあえず〈何をやっていいのかわからない〉状態にくらべれば,何か無難にこなせるものをもっている方が,子どもも安心できそうな気がしますが,すばらしい授業を見つける機会がそれだけ減ってしまうようにも思います。

●初めての仮説実験授業・初めての授業記録
                       竹田和紀(東京)・・・・・・274
「疲れたら途中からPCでうっちゃおう」なんて考えて、とりあえず書き始めました。しかしこれまたびっくり。楽しいことって疲れな いんですよね。はっきりいって、こんなに手で文字を書いたのは大学以来です。しかもこんなにニコニコ書い
ていたなんて…中学生以来??

●私の仮説歴と今        竹田和紀(東京)・・・・・・278
 でも…たのゼミに出会って、いつのまにかそんな気持ちがなくなったことに気付いたのです。そう、私は出会ったのです。私はずっとずっと受けたかった授業に、やっと出会えたのです。

●私にとって学ぶこと
       竹田和紀(東京)・・・・・・288
予想変更するかもしれないけど…今の私にとって、学ぶとは、新しい自分に出会う
こと、そしてそれによって新しい視点から世界を見ることができることなんだな。だ
から、あまり変わらない気がするものには興味が薄い(ものづくりも楽しいけど、授
業書より熱意がないのはここだなあ)一般的に〈学習〉と言われるものでも、自分が
変わらないものは、つまんない。
            
●校長先生の遺言     伊藤穂澄(三重)・・・・・・292
 「もしかしたら校長先生がこんなに理想的なことを言ってくれることによって,困る人もいるのかもしれない」とちょっとは思います。
だって,「楽しい授業をしてください」っていわれても,具体的な手だてがなければ
どうしようもないものねえ。確かに,私だって,仮説以外の授業は悲惨だしねえ。

●学ばなくちゃ・
・          伊藤穂澄(三重)・・・・・・296
私は今まで,「仮説実験授業があればなんとかなる」「楽しいことをすればなんとかなる」なんてかたをくくっていたけど,そうじゃない。熱意や努力ではなんともならないことがあるのがやっとわかった。

●最初の授業書は          伊藤穂澄(三重)・・・・・・302
<もし原>は幸い3クラスがやってあるので,<ものとその重さ>から始めることにしたというのが理由の1つ。もう1つの理由は去年の反省から。

●私の今年の冬休み 
       竹田美紀子(愛知)……311
最後は板倉講演。5日のところに書いた3D映像のことも,それ以外のことも,いろいろあったけど,私は聞きながら「インターネットの普及は情報発信の民主化だ〜〜」ということを考えたりしていました。

●おばあちゃんの知恵袋  入門講座編  竹田美紀子(愛知)……320
 教室の場合でも,入門講座の場合でも,仮説実験授業の授業書があれば,満足要因は満たされているといえる。ってことは後は不満足要因をなくすようにすること。
教室で子どもに対して子ども中心主義ができるのなら,それをそのまま大人に当てはめればいいだけの話だ。

● 辛いとき、どう過ごすか・・・ということについて
 
                               竹田美紀子(愛知)……330
結局は,辛いときでも,サークルや研究会に行くのはやめない方がいいということ。惨めな自分について言いたくなかったら,内緒にしておいてもいいから。そして,人間なんだから,みんな同じような体験を多かれ少なかれ体験しているってことを知ることかな?

あとがき                          伊藤穂澄・・・・・・・・・335