はじめに
                                         竹田美紀子

 <ばねと力>の授業書は,私にとって一番たくさんそれに関する資料を書き,それについて考え,それと関わることの多かった授業書だと思います。大げさに言ってしまうと「<ばねと力>の授業書を抜きに私の人生は語れない」といってもいいくらいなものだと思います。これらのことについては『授業書<ばねと力>と私の仮説実験授業』(キリン館)にも書きましたが,重複することを承知で,まず簡単に書いてみようと思います。
 <ばねと力>にまつわることの発端は私の中学1年生のことまでさかのぼります。今も中学校の教科書にある「作用反作用の法則」・・・これが分からなかった・・・というのがそもそもの出発点でした。「私が黒板を押したら,黒板が私を押し返してくるって?!そんな馬鹿なことがあるはずがないじゃないか」と思い,それをずっとずっと温めつづけていた私。でも,これって今思うときわめて正常で,まともな反応だと思います。その後調べたところによると<ばねと力>以前に小中学校で静力学についてすべての子供たちが納得できるような形で授業が展開したことはなかったようだからです。(もしかしたら高校大学でも?)おそらく私にそれを教えた先生も,同級生たちも,みんなちゃんと分からないままただそれを使っていたのでしょう。
 「作用反作用の法則」は分からなかったし,納得できなかったけど,物理は好きで,教員養成大学の理科に進んだ私は,教師3年目の春に仮説実験授業に出会いました。そして,すぐに<ばねと力>の授業書を知り,中1のときから10年以上温めていた疑問がやっと解決した・・・ととても感激しました。そう,私にとって<ばねと力>というのは何よりも「作用反作用の法則が分かった!!」と思えるものだったのです。1973年ごろのことでした。
 しかし,<ばねと力>の授業書を実際に私が初めて授業したのは1980年でした。(この間に2人の子供を出産)そして,この授業書によって,初めて挫折感を味わったのです。授業がうまくいかない。つまり,ねらいが達成できていない。あんまり楽しんでもらえてもいないということです。「なぜ?」「どうして?」という出発点。そして,ここから明らかになったことは,単に私個人の問題だけでなく仮説実験授業にとっても大きなことではなかったかと今私は思います。
 <ばねと力>の授業がうまくいかなかった?どうしてなんだろう?ということは,私にとっては西川浩司さんの発見によって解決しました。西川さんのやっていることを真似して,授業をすればうまくいくようになったからです。でも,問題だったのは,そういうことではなかったのだと思います。そして,それは今も古くて新しい問題として,存在し続けているのではないかと思います。
                     ※
 『授業書<ばねと力>と私の仮説実験授業』(キリン館)には出口陽正さんの書いた授業ノートがあります。出口さんが書いたものではありますが,その内容は西川さんがやっていることをまとめたものといってもよく,それは私やそれ以外の人が西川さんから学んでいったことでもあります。
 今回新しくこの授業ノートを作っているわけですが,実は授業ノートの内容は以前のそれと重なるところが多々あります。いや「多々」などという言葉ではすまないくらい,一緒の部分が多いかもしれません。あのころ西川さんから学んだことは普遍性を持つものでいっぱいだからです。それにもかかわらず,今回この授業ノートを作っているのは,<ばねと力>に対する私の姿勢があのころとはずいぶん違っていることが大きいです。
 つまり,あのころの私にとって<ばねと力>は特別な授業書でした。自分の思いや歴史がいっぱいあるというだけでなく,それを受ける生徒たちにとってもほかの授業書に比べてしっかり頭を使わざるを得なかったり,やるとほかの授業書ではあまり身につけることができなかった原理的な考え方を身につけることができるようになったり・・・・と,ほかの授業書に比べると,やり応えのある授業書であると思っていました。
 でも,今の私にとっては決して特別な授業書ではなくなりました。思い出のいっぱい詰まった授業書で「私自身を語る」という意味ではほかの授業書とは違う点があるけれど,授業をするに当たっては,私にとっても生徒にとってもほかの授業書と同じもの。授業書によってそれぞれ扱う分野が違うように,この授業書は静力学を扱っているという,ほとんどただそれだけのこと。
 そんな感じに近いです。
 そして,私がその昔初めての<ばねと力>で挫折したその理由は,<ばねと力>だからということではなく,仮説実験授業の授業運営そのものに関わることだったと思うのです。
私が西川さんを発見し,西川さんの<ばねと力>の授業運営法を学んでいるころ「西川さんを学ぶ会」というのができました。もちろん私もその会員の一人でしたが,この会について会員だった人の中にもまた,外から見ていた人の中にも私とは考えが違う人がいたようです。というのは,「授業をよりうまくやれるようになるために学ぶ」と捕らえている人がいたようなんですが,私は「よりうまくなる」ということには,当時も,そして今もまったく関心を持ったことがありません。私は仮説実験授業が「普通に」できるようになればいいと思っていたし,今もそう思っています。
 ということは,挫折した当時の私は普通以下だった・・・ということになりますが,そうなんです。仮説実験授業の思想というか,根本的な授業運営についての考え方とか,そういうものが身についていなかったと思います。そうであっても子供に恵まれると表面上は普通または普通以上の授業が成立してしまうことがあります。でも,それは状況が変化し,必ずしも恵まれたとはいえない状況になると,ぼろが出ます。でも,まあぼろが出たら,学べばいいのであって,授業書をやりつつ学んでいくのです。
 そして,あの時以来現在も学び続けていることは何かといったら,それは「子供中心主義」ということです。それを頭で理解するだけでなく,実際の行動がそれにあったようにできるようになることです。
 だから,逆に言えば,「子供中心主義」が身についている人なら,こんな「授業ノート」なんか見なくても,ちゃんと普通または普通以上の授業ができるということになりますが,そのとおりだと思います。ただ,世の中には便利な道具があるように,知っていると便利な知恵のようなものもあると思うので,そういうためには「授業ノート」が役に立つこともいろいろあるとは思うので,そんな意味で役立てていただけるといいかなあと思います。      

 最後に,1つ1つの問題における知恵や工夫ではなく,全体的に言える知恵・・・もしかしたら,これも「子供中心主義」につながるかもしれないと思えることを箇条書きにしておきたいと思います。

○自分の思ったことは素直に出せるような雰囲気(何を言ってもバカにされない。何をいっても認めてもらえる)ができるよう努力する。子供が「恥をかいた」と思うような場面を作らない。
○授業はテンポよく進め,復習をしてから新しいところに入る。
間があけば,前にやったことを忘れてしまうのは当たり前です。
あまり間が開かないように授業するとともに,前のことを何らかの形で思い出してから授業しないとわけが分からなくなる子が出てきて当たり前です。やむを得ずたくさん間が開いてしまったり,またはそうでなくても部のまとまりなどでは,前の時間の復習だけでなく,大きく戻っての復習が必要なこともあるでしょう。
○選択肢のない問題・矢印を書く問題などでは,なかなか手の動かない子もいるでしょう。予想しないと認識も成立しないので,書いてもらえるよう努力するなり,時間をたっぷりもつことは必要。でも,それが強制になってしまったり,いやになるくらいたっぷりの時間ということになったら逆効果。相手やみんなの顔色を見つつ,お願いする。
そして,書いた以上どんな予想の子が何人いるかは必ずちゃんと明らかにする。
○問題の説明は実験の直前までやり,問題の意味がみんなに分かってもらえるよう丁寧に説明する。
○ヒントはちゃんと取り上げる。
○実験は結果が分かりやすいように。この授業書ではばねの長さを問う問題が多いが,細かい長さは気にしないで,判定用の物差しを用意して,大雑把に,そしてぱっと分かるようにする。
○実験道具やビデオがなかったら,何とかして用意する。貸してくれる人も多いので,電話しまくるなどする。
○授業書のつまみ食いしない・・・というのは原則で,せめて部のまとまりまではやってほしいというわけですが,この授業書の場合,第1部をやったら,ぜひ第2部はやってほしいです。第1部だけで終わってほしくないなあと思います。そして,第3部をやったらぜひ第4部もやってほしいです。
 一部分だけやるのと,全部をやるのとでは満足度は2倍3倍以上だと思います。
○覚えておいてほしいこと,使ってほしいことなどがあったら,子供にそれを要求するのではなく,掲示物を用意して,いつでもそれが見えるようにしておく。この授業書の場合は「力の原理」や「矢印の書き方」などがそれにあたると思いますが,それはこの授業書でのポイントを示すことにもなります。

 このくらいでしょうか。この授業ノートが何らかの形で皆さんのお役に立てるものになったら嬉しいです。
                                    2003.3.2