ま え が き
              
 
                        竹田美紀子

●昔作った授業ノート
 私が《日本歴史入門》の授業ノートを初めて作ったのは1996年のことでした。その時、私は授業にあたって、疑問に思ったことを二階堂泰全さんをはじめとする社会の専門の方にたくさんの質問をしたので、それを忘れない為に書きとめておくことがそのスタートでした。
 しかし、私が《日本歴史入門》の授業をしたのはその時が初めてではありませんでした。その前にやったこともあったのですが、自分自身が何となくすっきりしない、よく分からない気持ちで授業が終わってしまっていたのです。
 この冊子の16ページには「授業をする前に」ということで「自然科学の授業書との違い」ということが書いてあります。そこにはこんなことが書いてあります。
 私は教師の側が1問1問の問題について「これで何が分かるのか」ということについてこだわらないことが大事に思えます。自然科学の授業書の場合、1問1問について分かることがはっきりしていることが多いため、この授業書について教師が1問1問の位置づけが不明確で不満感を抱きやすい気持ちになってしまうのではないかと思うのです。
 そういう意味で、私はあえて《日本歴史入門》については、教師は「これはイメージ形成授業なんだ」という構えで臨んだらどうかと思っています。全部をやることによって、イメージが出来上がるのであって、早急に結論を求めようと思わないこと。そんな姿勢がこの授業をやる上では結構大事ではないかと思っています。
 ここに書いてある「不満感を抱いた」教師というのはその昔の私のことです。そして、そういう反省と社会の人たちから学んだたくさんのことを内容にしたのが、私の作った授業ノートでした。
 しかし、その授業ノートの内容に当時の私はなかなか自信を持つことができませんでした。授業ノートをまとめた2年後に再び《日本歴史入門》の実践をして、この授業ノートが役立つことを実感したり、親しい友人にこの内容を伝えて役立ったことを知らせてもらったり、更にはガリ本図書館から授業ノートを冊子にして発行してもらっても、内容にあまり自信を持つことができなかったのです。
 それはなぜなのか・・・・・実は今だにはっきりした理由は分からないのですが、おそらくは自分自身に社会の科学全般に対するコンプレックスがあったことが大きかったのではないかと思います。「私には社会の科学は分からない。だからこの授業ノートに書いたことも、専門の人から見たらくだらないことばっかりなのかもしれない」と、そんな風に思っていたように思います。その時作った授業ノートの内容は〈今見てもほとんど直すところなどないようなしっかりしたもの〉に私には思えます。だから、当時私が書いたまえがきやあとがきを今読むと「何でそんなにびくびくしているの?」と思えてしまいます。
 
●新版作成にあたって
 今の私は、社会の科学に対するコンプレックスはほとんど払拭できていると思います。それは何によるかというと、理由はいくつかあるでしょうが、一番は社会の科学に関する授業書をたくさん実践したからだと思います。「自然科学に弱い」と思い込んでいた人が自然科学分野の仮説実験授業をやることによってその思いを払拭するように、私も社会の科学の授業書をやることによって、その思いを払拭したのだと思います。そして、《日本歴史入門》の講座も平気で引き受けられるようになりました。
 私が昔作った授業ノートは、自分が授業する際にも役に立ち、おそらくはほかの人にも役立つと思ったので、以前講座を行った際にも増刷して配らせていただきました。が、今回、鹿児島でまた講座を行わさせていただくことになったので、それをきっかけにきちんとした表紙を作り新版の授業ノートとして発行させていただくことにしました。
 多少手直ししたところがないわけではありませんが、授業ノートの内容は昔のものと変わっているところはほとんどありません。しかし、新版にあたってカラー版の歴史年表を最後に付け、まえがきも書き直しました。
 カラー版の歴史年表は昨年街角かがく倶楽部で《日本歴史入門》の授業を行った際に、参加者に配ったものです。クラスで授業をする時には子ども達に最初にこの授業ノートの最後に付けてあるような白紙の年表を配り、授業のたびにグラフをだんだんと作っていくといいと思います。しかし街角かがく倶楽部では時間的にそのような作業は行えなかったため、最後に完成版を参加者に配ることにしたのです。「全体のイメージを描くために役立つこともあるかもしれない」と考え、この授業ノートにもそれをつけさせていただきました。

 《日本歴史入門》の授業をされる方に、この授業ノートがお役にたてば幸いです。
                     2011.7.2